前回はあり方についてのミニ考察を行いました。
あり方を手に入れるためには、精神的な成長が不可欠です。
それを垂直的成長と呼ぶと言う話をしました。
今回は、人が成長するときの条件について書いてみますね。
人が成長するときの条件の研究というのがあります。
まずは、ロバート・キーガン博士の説をご紹介します。
最初の条件はこれです。
1.何らかの挫折、ジレンマ、人生の謎、苦境、私的な問題などに悩まされ続けること
こんなことが起きたらどう感じますか?
ほとんどの人が、大きなショックを受けるでしょう。
起きないでほしい!と思って当然だと思います。
2番めは、
2.それを通じて、自分の現在いだいている認識アプローチの限界を感じること。
う~ん、つらい!これはつらいことです。
限界を感じて、自信を失ってしまうことが必要だなんて。
でもね、ごめんなさい、さらにダメ押しがあります。
3. 自分にとって大切な局面で、その限界を思い知らされる経験をすること。
徹底的に追い込まれた感じで、つらい状態ですね。
こんな状態になったら、絶望を感じる人がでてくるかも知れません。
こうなった人は、なんとかしようともがくのですが、限界を超えているので、
何をやってもうまくいかず、ついには、いまの自分の考え方やあり方では越えられないことを悟ります。
その葛藤の結果、どうなるか。
DO(やり方)の限界を悟り、BE(あり方)を変え始める。
方法論ではなく、本質的に人が変わる瞬間を文字にするとこういうことになります。
自分の認知の限界を悟ると言う表現より、「限界を思い知る」という言葉の方がリアルかも知れません。
そこまでいってようやく、人は認知を変えることができる存在だとされています。
もう一つ、最後の条件はこれです。
4.適度な支援を 受けることにより、葛藤に押しつぶされず、
しかし葛藤から 逃れられたり、その重圧をやわらげたりできない状況に身を置くこと。
この適度な支援は、家族の場合もあるでしょうし、仕事で悩んでいる人なら、上司や経営者の出番かも知れません。
私はこれがとても大切だと思うのですが、適度な支援があることが、この絶望状態を乗り越える大きな力になります。
乗り越えるのは本人だとしても、それを支える存在が大切だということですね。
これらのプロセスを経験している最中にいる人を、
キーガン博士は「高度な葛藤状態」と表現しています。
東洋哲学を見てみましょう。
法華経の哲学の中にも同様の教えがあります。
三障四魔と申す障(さわ)りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く
三障四魔というのは、凡夫が仏になる修行への妨げとなる難のことです。
人生の難が起きてきたとき、法華経の教えを知らない人は難から逃げようとする。
しかし、知っている人は、
「よし!難が来たか!これは私が仏になる修行を正しく行っているという証明なんだから、喜ぶべきことだ!」
と、受け止めるという話です。
大きな悩みに直面したとき、その様に受け止めることができるためには、
本当に大きな器や境涯が必要になると思います。
でも、その難に遭遇したお陰で器が大きくなり、境涯が拡大して、
その後の人生に深みが増したとなったなら、
その難はあなたにとってとても大切な成長の機会になったと言えそうですね。
人生の出来事は、解釈次第でどうにでもなるといえます。
とはいえ、なかなか簡単にそう思うことってできそうにない気もします。
でも、もしできたとしたらすごいことだと思います。
文字通り「人生が変わる体験」になるでしょう。
人の本質的な成長って、それほどにすごいものだし、
それほどに難しいものでもあると言えそうですね。